無我夢中(過去形)

久しぶりにブログに向かう。

これまで冬はなんだかんだブログに書く内容めいたものに出会わなかった。
端では時々思い出していたけど。

私にとってブログは日記ではないから。
留めたいことに触れた時開く書き込みページです。

久しぶりに、過去とリンクしてしまう空気を吸ってしまった。

人は、なんだかんだ誰もがお調子者だ。
緊張漂う不安定さの中に在る時は何にも誰にも感謝し、些細なことに沁み入ることができる、心から。でも、ひとたび馴れようならそんな熱さは喉を通り過ぎて小さな不安さえ痛みさえスッと忘れたかのようになるのか。

私の母は私の小学校の卒業式には来なかった。担任の先生に長い手紙をしたためて、私は家人としては本人1人で小学校を卒業した。恨みはなく、憶えているのは小学校がとても楽しかったから卒業が淋しくて思い出が溢れてBGMで立ち上がり退場する時に涙が止まらなかったことだけ。
家に帰ると、母はせつなそうな表情で出迎えてくれ、直後に担任の先生が慌てたかのように家に駆けつけてくださった。私と母とを写真に撮ってくださり、後日くださった。今でも輝いている私の宝物。
もうひとつ、3年間担任だった先生の、私を見る目が私が初めて見た類の先生の瞳だったこと、忘れられない。まだ12歳だった私は、その、母と担任の先生の両方の瞳を憶えている。そんな私のその時の瞳は、もう、誰も知らないだろうか。

母は、その頃は出不精だった。理由があったはず。だから私は責めもしないし、恨むはずもない。
だけど、私が高校を卒業してからは、一変し、スナックをやりたいと、まだ私より歳下の妹とそれを夢描き出した。母は人前に出れるんだ!とびっくりした。そしてホッとはしたけどびっくりした。あとは訳分からなかった。
母は体調が悪いことが多々あったし、その時は機嫌悪くて怒りの人に変身していたし。子供であったけどいつもいつも母の顔色とご機嫌を気にして母には向かっていた。掃除をする時も怒りの人に変身していた。とにかく無意識に母のご機嫌を気にしてばかりの自分で大人になった。でもずっと続いた。
病気は辛いこと、悲しいこと、わかってるから、かわいそうなことだと思う。でも、病気になって家族に心配かけてごめんなさいって気持ちの人も居る。お世話ありがとうって人も居る。家族は、そんな時程「何言ってるの。早く治るよう、元気になるよう、応援してるし願ってるよ。」と思ってくれる。
病気を盾にしてその後ろから、「オレは今体調悪いんだ。わかるか。」と、威張ってる人もたまにはいるんだ。故意に病気にさせられたならそ奴にそうしたら良いだろうね。だいたいが皆病気は大小かかわらず経験し、自分なりに人の痛みやありがたさを知っていくことが増える。人生だね。
ここで、突然説明もなく黙ったままで体調のまま不機嫌な人に変身する人のご機嫌をとるなんて真っ平御免なんだ。
自分が倒れたり果てたら、家族が、周りが困る。だから私は、ストレスに狂わされないためにいわゆるそういう忖度はしないとした。

今日は、それがブログに留めようと思った所以です。
大切な人のために自分が元気で平穏で明るく居たい。ふくれっ面なんか最高に嫌い。
もう、何十年続いたふくれっ面のご機嫌取りからサヨナラした私は、二度と戻りはしない。
今の自分にそう言ってあげて、また寝直そう。

今母はどうしてるかだって?誰にもご機嫌などとられてないよ。空いてる人探しては、老いながらまだ愚痴の散歩みたい。初めの何分かは聴いても、変わり映えないうちはもう閉店ガラガラ〜だよ、です。

書き終わった。
今は何も考えずに…

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